より多くの方に、
安心の「名倉の医療」を。
当院は時代の変化と共に骨つぎから整形外科へと形を変え、今日まで永きに渡り医業を営んでまいりました。
現在、私が千住・名倉医院の8代目を受け継いでおります。
皆さまのより身近なところで名倉の医療をご提供できればと、2004年より北千住駅から直結した「駅前クリニック」を設けております。
今後も、地域に貢献しながら、患者さまひとり一人にお力添えができるよう、心を尽くしてまいります。
明和7年(1771)業祖名倉直賢(1750-1828)が、千住の地で接骨業をはじめる。幼少期より武術に興味を持ち、楊心流柔術及び剣術で免許皆伝の腕前を持っていた直賢は、柔術の中から骨関節損傷の治療法「骨接ぎの術」を取得。明和9年(1772)の目黒行人坂の大火では、薬法や接骨の技術を生かして怪我を負った人々の治癒に当り、この時の経験から人助けの使命感を強く自覚。その後、高名な幕府医官多岐安叔の下で医学を修行し、薬方を学び後の秘伝の膏薬を編み出すなど業績を残した。
独自の「黒膏」という練薬や、副木と包帯を用いた患部固定術は評判を呼び、名倉彌一の時代には、
骨折や脱臼を負った人々が関東一円から千住を訪れるようになる。
夜が明けると、患者を運ぶ戸板や駕籠の行列で旧道が埋まり、遠方から訪れる人のための宿泊施設が
付近に設立されたと言われている。
時代が明治に移り、医学教育制度が大きく改正される中、名倉謙蔵は、東大医学部の前身である東大の別科を卒業し、最新の医学知識を学んだ。その後、名倉家は代々整形外科の専門医院として家業を継ぐ。
名倉重雄は大正8年(1919)、東大医学部を卒業後、県立愛知医科大学(現名古屋大学)医学部の初代整形外科主任教授、東京厚生年金病院初代院長を歴任。昭和25年(1950)には、骨端症の研究に対し、日本学士院賞を受賞した。
第五代名倉謙蔵
(1866-1939)
第六代名倉重雄
(1894-1985)
北千住駅西口、地下鉄ミルディス方面出口より徒歩2〜3分。西口ペディストリアンデッキにて、ルミネとマルイの間にあるミルディス二番館への連絡通路よりお越しください。
診療時間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
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9:30〜13:00 | |||||||
14:00〜18:00 |
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院長 | / | 院長 | 院長 | 院長 |