整形外科・リハビリテーション │ 北千住
アクセス・診療時間
整形外科・リハビリテーション │ 北千住
〒120-0034 東京都足立区千住3-98-301
千住ミルディスニ番館3F メディカルフロアー

当院について

CLINIC

より多くの方に、

安心の「名倉の医療」を。

名倉の医療は、およそ250年前より千住の地で親しまれてまいりました。
長い歴史の中で培われた知識や技術をベースに、
最新の医療設備やリハビリテーションで、
幅広い世代の方に寄り添った治療を行います。

ご挨拶

理事長 兼 院長
名倉 直孝 Nagura Naotaka

当院は時代の変化と共に骨つぎから整形外科へと形を変え、今日まで永きに渡り医業を営んでまいりました。

現在、私が千住・名倉医院の8代目を受け継いでおります。

皆さまのより身近なところで名倉の医療をご提供できればと、2004年より北千住駅から直結した「駅前クリニック」を設けております。
今後も、地域に貢献しながら、患者さまひとり一人にお力添えができるよう、心を尽くしてまいります。

名倉医院の歴史

業祖 名倉直賢(1750-1828)

明和7年(1771)業祖名倉直賢(1750-1828)が、千住の地で接骨業をはじめる。幼少期より武術に興味を持ち、楊心流柔術及び剣術で免許皆伝の腕前を持っていた直賢は、柔術の中から骨関節損傷の治療法「骨接ぎの術」を取得。明和9年(1772)の目黒行人坂の大火では、薬法や接骨の技術を生かして怪我を負った人々の治癒に当り、この時の経験から人助けの使命感を強く自覚。その後、高名な幕府医官多岐安叔の下で医学を修行し、薬方を学び後の秘伝の膏薬を編み出すなど業績を残した。

第四代 名倉彌一(1839-1902)

独自の「黒膏」という練薬や、副木と包帯を用いた患部固定術は評判を呼び、名倉彌一の時代には、
骨折や脱臼を負った人々が関東一円から千住を訪れるようになる。
夜が明けると、患者を運ぶ戸板や駕籠の行列で旧道が埋まり、遠方から訪れる人のための宿泊施設が
付近に設立されたと言われている。

第五代 名倉謙蔵(1866-1939)

時代が明治に移り、医学教育制度が大きく改正される中、名倉謙蔵は、東大医学部の前身である東大の別科を卒業し、最新の医学知識を学んだ。その後、名倉家は代々整形外科の専門医院として家業を継ぐ。

第六代 名倉重雄(1894-1985)

名倉重雄は大正8年(1919)、東大医学部を卒業後、県立愛知医科大学(現名古屋大学)医学部の初代整形外科主任教授、東京厚生年金病院初代院長を歴任。昭和25年(1950)には、骨端症の研究に対し、日本学士院賞を受賞した。

業祖名倉直賢(1750-1828)

第五代名倉謙蔵
(1866-1939)

第六代名倉重雄
(1894-1985)

名倉家の門

立地

徳川家康が隅田川に架けた最初の橋が千住大橋で、以来、江戸の北の入口、日光街道の宿場として栄え、当時の日光街道沿いにあった名倉医院(本院)にもさまざまな人が訪れました。
今では、北千住駅において、JR常磐線(東京上野ライン)、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)、東京メトロ千代田線、日比谷線、つくばエクスプレス線などが乗り入れるターミナル駅となり、東京と茨城、埼玉、千葉方面を結んでいます。
沿線に住み都内で働いている方やお出かけする方にとって、北千住駅すぐの駅前クリニックは通いやすいとの事で、遠方からも多くの方に通院いただいています。
名倉医院
本院について
整形外科・リハビリテーション
1770年創業当時の志を受け継ぎながら、地域の整形外科医として千住の地で医業を営んでいます。

北千住駅西口、地下鉄ミルディス方面出口より徒歩2〜3分。西口ペディストリアンデッキにて、ルミネとマルイの間にあるミルディス二番館への連絡通路よりお越しください。

整形外科全般、リハビリテーション
〒120-0034
東京都足立区千住3-98-301
千住ミルディスニ番館3F
fax.03-5813-7714
北千住駅より徒歩2
(メディカルフロアー)
診療時間
9:30〜13:00
14:00〜18:00
【休診】水・日・祝(土は午後休診)
※受付は開始10分前から終了30分前までです
※予約は承っておりません
AM
院長
PM
理事長
院長 院長 院長 院長
院長:名倉直重 理事長:名倉直孝