名倉こぼれ話
名倉医院
名倉医院駅前クリニック

谷文晁と名倉家

高い画力と、広い交友関係から江戸後期の文人社会で、中心的な役割を果たした谷文晁(1763~1840)。 江戸下谷に生まれ、幼少期に狩野派の絵画に学び、その後円山派、琳派、四条派さらに西洋画や朝鮮画も学んだうえで、全ての画 […]

村越向栄と名倉「月次景物図」

千住に根差した画家として知られる村越其栄(1808~1867)の息子、村越向栄(1840~1914)もまた、この地域の商家と繋がりを持ち、文化活動の中心的な役割を果たしました。 父、其栄に学び、琳派の画家として活動する傍 […]

村越其栄と名倉家 「紅葉鹿図屏風」

江戸琳派の画家として知られる村越其栄(1808~1867)は、千住を活動の拠点とし、地域の商家とも繋がりがあったといわれています。 鈴木其一の門下で絵画を学んだ其栄は、天保11(1840)年に下谷から千住河原町に居を移し […]

名倉素朴翁還暦祝賀色紙帖 政財界人から芸能者まで

千住第四代名倉彌一は、代々の当主が号した「名倉素朴」の名を受け継ぎました。 医業に励む一方、俳人としても活動し、江戸の藩主や医師、政財界人、芸術家など幅広い分野の人々と親しく交流を持ちました。 その交友関係の広さは、彌一 […]

名倉の黒膏

名倉医院には、業祖直賢の時代より「黒膏」と呼ばれる練り薬が伝わっています。 主な材料は、ニワトコの木。別名接骨木とも呼ばれるスイカズラ種の落葉灌木です。これを蒸して臼で引き、すり鉢で粉状にします。 昭和の初めごろまでは、 […]

森鴎外と名倉家

    近代日本を代表する小説家であり、陸軍軍医の森鴎外(1862-1922)も、名倉家と所縁がある人物です。 鴎外の父、森静男は当時の千住宿北組に医院を開業していたため、鴎外も東京大学予科卒業後、陸 […]

将軍家の御鷹狩の休憩所

名倉家は、嘉永元年(1848)1月、徳川第十二代将軍家慶の時代に将軍家の御鷹狩の休息所に選ばれます。 千住第三代名倉市蔵尚壽は家屋の大改修を行い、武家屋敷を思わせる邸宅を建造しました。 実際の御成りは、嘉永元年(1848 […]

相撲取り、役者、芸者は治療費無料

戦前まで名倉家代々の家憲では、相撲取り、役者、鳶の衆、仕事師(大工)、芸者、幇間からは治療費を頂きませんでした。 その根底には「これらの職業の人たちは、人々の娯楽のためにわが身を粉にして働いてくれる」という業祖直賢の想い […]

葛飾北斎と名倉医院

化政文化を代表する浮世絵師である葛飾北斎は、名倉直賢の友人の一人でした。 人体の骨格や筋肉の勉強のため、患者の写生を行っていたと伝わっています。

夏目漱石と名倉医院

明治期に活躍した小説家 夏目漱石は、幼少期に廊下から庭に落下して足を骨折し、千住の名倉で治療を受けました。 その時の経験を自伝ともいわれる小説『道草』に記しています。

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