近代日本を代表する小説家であり、陸軍軍医の森鴎外(1862-1922)も、名倉家と所縁がある人物です。
鴎外の父、森静男は当時の千住宿北組に医院を開業していたため、鴎外も東京大学予科卒業後、陸軍の軍医副となるまでの間、家業を手伝っていたと伝わっています。
同じ千住で医業を営んでいた森家と名倉家の間には交流があったとみられ、1915年に鴎外が新聞連載した小説『渋江抽斎』の中には、業祖名倉直賢の三男名倉知重が「当時流行した接骨家元大坂町の名倉弥次兵衛」として登場しています。
この小説の資料を得るためでしょうか。
名倉家には、鴎外から千住第五代謙蔵に宛てて、名倉家の系譜について教示を得たいとの内容の書簡を受けた記録が残っており、 東京大学附属図書館の鴎外文庫には森鴎外の自筆による「名倉系図」が所蔵されています。