名倉こぼれ話
名倉医院
名倉医院駅前クリニック

谷文晁と名倉家

高い画力と、広い交友関係から江戸後期の文人社会で、中心的な役割を果たした谷文晁(1763~1840)。

江戸下谷に生まれ、幼少期に狩野派の絵画に学び、その後円山派、琳派、四条派さらに西洋画や朝鮮画も学んだうえで、全ての画法を取り入れた独自の画風を作り上げました。

文化十二年に、千住の飛脚問屋、中屋六右衛門の還暦を祝して開催された「千住の酒合戦」では、直賢と同席し、文化活動を共にしたほか、文晁が脚をくじいた時には名倉家に治療に通っていたと伝わっています。

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